当院の理念と歴史について

私たちのめざしている医療について

当院に来ていただける患者様に

 病院いったけど言いたいことの半分も言えなかった。目の調子わるいけど、あそこの病院いきたくないなぁ。そんな思いをしたことはありませんでしょうか。

わたし自身も医者ぎらいで「なんか急がそうだし、そもそもわかってもらおうなんてことが無理だ」なんて考えてしまいます。

そんな方にも来ていただき、できるかぎりの説明をして「来てよかったわぁ、安心したわ」と言ってもらえるクリニックをめざしております。

    

当院の歴史について

昭和初頭に大伯父(院長の祖母の兄)が東尻池に「福水眼科医院」を開院しました。街中を蒸気機関車が走り抜ける時代、まだ眼科が外科からわかれて間もないころでした。当時としては手術のできる眼科医院はめずらしかったようです。顕微鏡などありませんので、肉眼で外科用の小さいメスで手術をするといった、そういった時代でした。大伯父が若くして他界し、祖父が引き継ぎ「北川眼科医院」に改称。それを母が引き継ぎ、「松田眼科医院」に改称しました。妹尾河童の「少年H」で描かれる戦時中の情景は、まさに診療所の眼の前に広がる景色でした。戦後の復興から高度成長期にかけての長田にはたくさんの町工場があり、機械油のにおいと金属音が響く町に診療所はありました。1995年の震災までは大正・昭和の香りを残した古めかしくも威厳のある建物が残っておりましたが、阪神大震災で全壊し建て替えをいたしました。今も創業地の東尻池には「松田眼科医院」があり、母が診療を継続しております。私で長田の眼科として4代目になります。100年を超える老舗となり、責任ある診療と治療ができるようにがんばっていきたいとと考えております。

    

現診療所としては、「黒田眼科」「堀田眼科」を経て、堀田先生の引退に伴い私が継承いたし3代目となります。こちらも50年以上の歴史を誇ります。最近は新しいものが好まれる時代になっておりますが、病院や診療所の継続性はやはりそこを受診する患者さんにとっては大事なことであると考え継承することにいたしました。堀田先生と私では40歳の差がありますので、検査や治療などで違いがあるかもしれません。前先生の方針をなるだけ継承するようにはいたしておりますが、もしご意見がありましたら何なりとおっしゃてください。

院長の歴史について

  • 平成11年 愛媛大学医学部 卒業
  • 平成11年 大阪大学医学部付属病院 勤務
  • 平成12年 市立堺病院 勤務
  • 平成16年 健保連 大阪中央病院 勤務
  • 平成18年 大阪厚生年金病院 勤務
  • 平成24年 医療法人社団 まつだ眼科クリニック 勤務

所属学会と資格

  • 眼科専門医(日本眼科学会)
  • 日本眼科学会
  • 日本緑内障学会
  • 日本眼科手術学会
  • 日本眼科眼科医会(兵庫県眼科医会)
  • 日本医師会(兵庫県医師会、神戸市医師会、長田区医師会)

当院のマークについて

私自身は緑内障を専門にしております。緑内障の緑を当院の基本カラーとして院内の配色も緑を基調としました。また患者さんに自然な感じでリラックスした状態になっていただきたいと意味を含め、自然のイメージから「葉っぱ」の形にしました。もともとダイビングで海や魚も好きなので、かわいらしい魚のような形にもなっているこのマークを当院のシンボルといたしました。当院には、私の緑内障の師匠の桑山先生からいただいた時計が待合室にかざってありますが、このマークと一緒だと時々患者さまから言われますが残念ながら偶然の一致です。